
「すべての人に、無条件で一定額の現金を支給する」。
ベーシックインカム(以下、BI)という構想は、こうした極めてシンプルな理念のもとに設計される制度でありながら、その導入となると一筋縄ではいかない複雑な現実が存在します。特に、日本でこの制度を実現するには、経済的、制度的、そして文化的なハードルを乗り越える必要があります。
この記事では、ベーシックインカムの導入は果たして日本で可能なのかという問いに対し、理念と現実の両面から考察を深めていきます。
「生存を保障する」という価値観が、日本社会で受け入れられるのか
まず立ちはだかるのは、日本社会の根底にある文化的な価値観です。
長らく「勤労は美徳」とされてきたこの国において、「働かなくてもお金がもらえる制度」は直感的に「ずるい!」とか「甘えだ!」と見なされる傾向があります。努力せずに得るお金に対して否定的な感情を抱く国民は少なくなく、それがBIに対して根強い心理的ハードルとなって立ちふさがっているのです。
とはいえ、こうした社会構造が変われば価値観も時代と共に柔軟的に変化をしていく必要があります。
非正規雇用が増加し、正社員であっても収入が安定しない時代。
家族という単位で支え合うモデルもすでに限界を迎えつつあり、「真面目に働いても生活が成り立たない人」がもはや特別な存在ではなくなってきています。
その現実が人々の心に少しずつ、「すべての人に最低限の生活を保証する」という考え方への理解と共感を芽生えさせつつあるようにも思えます。
財源の問題は「不可能」なのか、それとも「設計の問題」なのか
BIの導入に際して最も頻繁に投げかけられるのが「財源はどうするのか?」という問いです。
全人口に月7万円を配布する場合、年間で必要となる予算はおよそ100兆円を超える規模となり、これは国家予算全体に匹敵する金額です。こうした数字だけを見ると、BIは明らかに突拍子もない非現実的な制度に見えるかもしれません。
しかし、この財源問題を乗り越えるための具体的な方法もすでに議論されています。(なぜかほとんど報道されることは無いが)
それは、現行の社会保障制度の一部をBIに統合するという発想です。生活保護や児童手当、基礎年金など、すでに支給されている現金給付の枠組みをBIに吸収すれば、それだけで数十兆円規模の原資を捻出できます。
※ここで注意したいのは、制度を廃止するのではなく、吸収するというのがポイント
さらに、富裕層への課税強化や、AI・ロボットによる生産性の向上分を回収する「ロボット税(仮称)」や「データ課税(仮称)」といった新しい税制の導入も財源確保の手段として検討されています。
つまり、BIの財源は「ない」のではなく、「再構築が必要なだけ」なのです。
問題は金額そのものではなく、どのような配分と構造で設計し直すかという、政治と制度設計の意思にあると言えるでしょう。
社会保障制度との「重なり」ではなく「融合」へ
日本の社会保障制度は長年にわたって年金・医療・介護・失業保険・生活保護といった複数の柱で支えられてきました。
その仕組みは緻密でありながらも縦割り構造であるがゆえに、対応の遅れや支援の漏れ、あるいは重複が生じているという問題も抱えています。
BIはこうした既存制度のすべてを否定するものではなく、むしろその“土台を再編成する”ための装置になり得ます。
たとえば、生活保護を受けている人が14万円の支給を受けている場合、そのうち7万円をベーシックインカムとして、残りの7万円を個別加算とすることで、制度の公平性と簡素化を両立することが可能です。
児童手当も同様に、BIの中に含めることで重複を避けつつも財源の一元化を進めることができます。
こうした統合が進めば、行政コストの削減や支援漏れの防止といった副次的効果も期待できるのもメリットの一つです。
導入可能性は「一気にすべて」ではなく「段階的に一部から」
日本でベーシックインカムを一気に全国民に支給するのは、制度・財政・国民感情の面から難しいのが実態です。
しかし、「それなら何もしない」という選択を取るのではなく、「小さく始めて、広げていく」という戦略が、最も現実的かつ有効なアプローチだと考えられます。
たとえば、小額から試験的なベーシックインカムを導入し、数年間にわたってその社会的・経済的影響をモニタリングする。
実証データをもとに、「どこまでBIが労働意欲に影響を与えるのか」「消費や健康にどう寄与するのか」「行政負担はどう変わるのか」といった点を科学的に検証したうえで、段階的な拡大を図っていく。
そうしたプロセスを経ることで、国民の理解と納得を得ながら、「理念としてのBI」を「現実としての制度”へと育てていく道筋」が見えてきます。
今、私たちに求められている選択
BIの導入は、決して簡単な取り組みではありません。
制度設計から財源確保、国民合意に何より「社会とは何のためにあるのか」という政治の基本ながらも根本的な問いに向き合う覚悟が求められます。
しかし、AIと自動化がもたらす社会の激変が避けられない現実である以上、「すべての人が安心して生きられる仕組み」を今から準備しておくことは、未来の日本にとって決して「突拍子もない議論」ではなく、「必要な政策論争」であると言えるのではないでしょうか。
BIの議論は、単なる制度論にとどまりません。
それは、私たちがどんな社会に住みたいのか、どんな未来を次世代に手渡すのかという、当たり前を考えるタイミングに差し掛かっている世代の責務でもあります。
