
ベーシックインカムは政治家にとっては『踏むだけ損』の地雷
ベーシックインカム(以下、BI)は「全国民に毎月現金を渡す」という、一見すると票になりそうな甘い響きを持ちながら、いざ真面目に取り組もうとすると、途端に選挙数学の計算がまったく合わなくなるというやっかいなテーマです。
導入を掲げれば「財源は?」と財政タカ派から集中砲火を浴び、タカ派の怒りを避けるために控えめに提案すれば「弱い人を見捨てるのか」と福祉派に責め立てられ、結局のところどちらに転んでも議員個人の「政治(得票)ポイント」が大幅にマイナスになるリスクが高い。しかも、議員同士で利害を調整しようとしても、税制や社会保障の大改造が絡むために既存の支援団体や省庁間のパワーバランスを一斉に揺らす必要が出てくる。
結果として「触れれば燃える地雷をわざわざ踏みにいくのか」という消極的合理性が働き、国会の議題から静かに外される。それでもなお支持率が劇的に上がる可能性があるなら飛びつくかもしれませんが、残念ながらBIは緊急性が伝わりにくい上にメリットが分散するため、選挙の即効薬にはなりづらい――これが沈黙の最大要因と言えるでしょう。
メディアが敬遠する“視聴率の壁”と数字への不向き
テレビやネットニュースは、とにかく「短い時間でインパクトを与えられる話題」を探し求め、日々数字(視聴率やPV)と格闘している。残念ながらBIは、その桁外れに大きい額ゆえに現実味が薄く映り、しかも仕組みが複雑なため、数分で分かりやすく説明するのがとても難しい。更に実現性のある議論となれば長期戦は避けられず、テレビのような一過性の話題との相性がすこぶる悪い。
キャスターが「月7万円 × 国民1億2千万人で年間約100兆円です」とさらりと言った瞬間、多くの視聴者はその桁の多さに現実性を失いチャンネルを変えかねません。番組側としては視聴者を繋ぎ止めるためにスキャンダルや火花散る討論を優先し、視聴率の不安定なBI特集を作るという判断は難しいでしょう。
さらに、BIの議論は「財源は増税か? 国債か?」という泥くさい論点にすぐ突入しつつも、その論点が専門的になるために視聴者の注意は惹きつけにくい。こうしてコストの割に伸びない視聴者数が問題が浮かび上がり、多くの報道現場でBIは自主的に後回しにされる構造が生まれるのです。
「働かない人が増える」という素朴な不安
日本社会には「真面目に働いてこそ一人前」という価値観が根強くあり、だからこそ「働かなくても毎月お金がもらえる」と聞くと、条件反射的に「怠け者優遇」のイメージが湧きやすい。でも実際には、海外で行われた小規模なBI実験では、受給者の多くが「生活が安定したぶん、スキルアップの勉強や新しい仕事探しに時間を回した」というデータが出ています。要するに、お金をもらった瞬間にゴロゴロ寝転ぶ人ばかりではないのです。それでもなお、この「働かざる者を支援する」といったスローガンは倫理観のお守りのように強力で、データを突きつけても「でもズルする人はいるでしょう?」という声が収まらない。
こうした情緒的抵抗は理屈より粘り強く、議論の火種になる前に消火されやすいのが現実です。つまり、「みんなの不安を一つひとつ丁寧に解くのは骨が折れるうえ、視聴率も伸びない」と悟ったら、政治家もメディアも静かに身を引いてしまう。この素朴な不安パワーこそBIを遠ざける見えない壁なのかもしれません。
「財源がない」のひと言でフタをする便利スイッチ
BIを口にすると最終的に必ず出てくるキラーワードが「財源がない」。
確かに、単純計算で年間100兆円を用意するとなれば誰でも頭を抱えます。しかし、現行の生活保護や児童手当、各種給付金をまとめ(縮小ではない)、さらには高所得層や巨大プラットフォーム企業に少し手厚く課税し、ロボット税などの新しい税を導入すれば、理論上は穴埋めが不可能というわけではない。
それでも財源難というフレーズは説得力が強く、深掘りする前に議論を終わらせる最強の打ち止めボタンとして機能します。政治の世界では、複雑な配分改革よりもそのボタンを押した方が手っ取り早く批判を回避できる。結果として、BIは「誰も大損はしないけれど、誰か一人がド派手に得をするわけでもない」という理由でロビー活動も盛り上がらず、テーブルに上がる前に年中検討中され続けるわけです。
余談
AIで仕事が減り人口が減って税収も細るこの先、BIがまったく要らないと言い切れる人はもはや少数派かもしれません。
それでも議論が表舞台に出てこないのは、政治家にとってもメディアにとっても対象者が全国民となるために「メリットが拡散してリスクが高いテーマ」だからこそ。とはいえ、火事になってから初めて消火栓の場所を調べるのでは遅すぎます。だからこそ、週末の飲み会で気軽に「もし毎月7万円もらえたら?」とネタにし続けるくらいの温度感でもいいので、BIへの関心を途切れさせないことが、じつは未来の自分たちを守る小さな一歩ではないかなというのが、少しだけ斜に構えた勝手な推察です。
