「政治とカネ」の問題はいつまで続く?

自民党議員によるパーティ券返金の流れ

自民党の河村元官房長官が6年前に全日本私立幼稚園連合会から30万円分のパーティー券の購入を受けていたことが判明、法的に問題はないもののパーティー券として受け取っていた30万円を返金したことが報道で明らかになりました。

「法的に問題が無いのならばなぜ返金を?」と思う方もいるかもしれませんが、全日本私立幼稚園連合会では、今年度までの4年間で少なくとも4億円を超える巨額の資金が使途不明になっているほか、河村元官房長官が会長を務める関連団体でも今年度4,100万円が使途不明になっており、この2つの団体は連合会の前会長らを業務上横領などの疑いで刑事告訴している経緯があります。

官房長官には官房機密費の決済権があります。
官房機密費とは、一定の名目であれば官房長官権限で領収書を必要とせずに支出することができるお金です。

政府運営上、機密性の高い支出はあるでしょう。ボクもその権限は必要であると考えますが、その機密性の高い資金の決済権を持つ官房長官が不透明なお金の流れに関与しているとなれば「決済権」を持つことの是非が問われることは避けられません。

当然その問題に対しては野党からも厳しい追及があることは想定できるので、今回のような「法的に問題ないけど関係をクリアにする」流れは野党からの追及を少しでも軽減するための対応とも言えます。

これまでの政治とカネの問題

政治とカネの問題の筆頭といえばやはり「ロッキード事件」。その他にもリクルート事件や、新しいものではIR事業による政治家への不明瞭な寄付や映像会社による総務省関係者のへの接待騒動などがあります。

1976年(昭和51年)のロッキード事件から繰り返し取りざたされる政治とカネの問題は、何十年も解消されることなく今でも繰り返され、国民に政治への不安と不信感を与え続けています。

「政治とカネ」とざっくり言うとその定義が広くなってしまいますが、一言で言えば「決定権を強く持つ政治家への法外な寄付」です。

ボクらのような地方議員であれば地方自治体の権限で左右される案件に対して、寄付(カネに限らず)と引き換えにアクションを起こせば立派な政治とカネの問題となります。しかし、国政のように報道ベースで取り上げられることが無いために表立った問題となることはありませんが、全国を見渡せば地方議会にだって政治とカネの問題は存在することを忘れてはいけません。

なぜ政治家はお金が必要?

政治を行うには多額のお金が必要になります。

日々の政治活動でも一定のお金がかかります。しかし、コロナ禍で議員の活動は大きく制限され、リモートワークが実装されたことでその活動は物理的にもコンパクトになりました。その結果、これまでほど政治活動にお金が必要になることはなくなりましたので、私利私欲以外で議員が不正をしてまで多額のお金を必要とすることは無くなるはずです。

しかし、政治活動とは異なり選挙では変わらず大きなお金が動いており、それは選挙の規模に比例して動くお金も大きくなります。その理由は選挙で必要とされるお金が一個人の選挙のための費用ではなく、政党拡大に繋がる「候補者への分配」のためであり、派閥政治文化がいまだ深く根付いているからです。

選挙には一定のお金がかかります。地方議員でさえ供託金から事務所の設置、選挙前の政治活動による広告物の配布。一ヶ月で100万円もかける候補予定者は数多くいるでしょう。それが国政選挙となれば桁がひとつ増えるほどです。

先日、河合元法相と河合杏里元議員の2019年7月の参院選広島選挙区を巡る買収事件では現役の地方議員までをも買収していた事実が明るみにあり、連日メディアを騒がせました。

新人であったり選挙に弱い候補者となれば、政党は選挙のテコ入れとして政治団体を経由して活動資金をバラまきます。その際に大御所議員は今後の自分の部下を当選させるためにも少しでも多くの現金を確保し、直属の部下に多くの現金をバラまくことでその後の派閥の拡大を図ります。

結局のところ政治にお金がかかる、というよりも「選挙にお金がかかる」が正しい表現になるわけです。しかし、選挙によって自身の影響力を保持するという意味では選挙イコール政治とも表現できるため、選挙ではなく「政治とカネ」という言葉が生き残っていると考えられます。

これはボクの持論ですが、政治は多額の税金を再分配して社会をよくするためのツールです。その為に社会的価値のある分野に少しでも多くの予算を確保するために議員は日々議論を交わしています。(そこで生じる「何が社会的価値があるか」といった価値観の差が、政党であり各議員の思想となります)

言い方を変えるならば大きな予算、例えば一自治体である川越市でも一年間で約2,000億円もの予算を組んでおり、その大きな予算に対して我々議員はその使途の良し悪しを議論するわけです。それを自身でお金を稼げない、親分にお金を工面してもらわないと選挙にも出れない、こんな金銭感覚に乏しい候補者が政党の後押しがなくては選挙で戦えない、こんな現状が政治の劣化に繋がっているのではないでしょうか。

政治とカネの問題を解消させる一番の方法は「候補者の質の向上」です。

すべての候補者が政党のお金に依存するのではなく、政党の理念に共感をすること。同時に政党もまたそのような人材を後押しすることが不明瞭なお金に依存しない「政治とカネ」からの脱却方法であると考えます。


明ヶ戸亮太(あけど亮太):経営者×市議会議員
現在40歳:川越市議会議員(現在三期目)・広告会社代表取締役・ICTコンサルタント・FPのマルチタスク / JAPAN MENSA会員
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