いじめは無くならないが、いじめの無い環境は存在する。

旭川市、14歳女子中学生がいじめにより命を落とす。

旭川市の女子中学生が壮絶ないじめを受け、行方不明ののち市内公園で凍死している姿が発見されました。

現時点での発表では調査中でありいじめが直接的な原因であると発表はされていませんが、様々な証言からいじめによる自殺が推測されますが、もしかしたらいじめの延長線上での事件かもしれません。

これまでのいじめに関する証言はあまりにも凄惨な内容であり、様々なサイトで憶測を含め情報が飛び交っておりますので、ここではその詳細には触れることはありませんが、いじめの問題を改めて考える必要があると思いブログを書きます。

いじめは無くならない

まず、前提条件としていじめはなくなりません。

人が集まりコミュニティを作る以上は必ず個体差が存在し、その個体差によって意見の相違が生まれて衝突が起きます。その衝突が形を変えいじめとなりますが、これは学校に限らず会社であったり家庭でも起きうる現象です。(ハラスメントや虐待)

その為、いじめの報道が流れるたびに議論される「いじめをなくす方法」については、響きは良くとも現実から目を背けている行動でしかなく、むしろいじめを無くすことは隠ぺい行為に繋がる恐れがあり、負の連鎖を生み出す危険性もあります。

どれだけ倫理やモラルを学ぼうともいじめは無くなることはないのは歴史が証明をしているので、いかにして「いじめの早期発見」「情報の共有」を図るか、これが組織が考えるいじめの対策です。

組織の取り組みと個の対応

ここで組織として表現したのは、これは学校サイドの対策でしかなく、学校に通う児童生徒やその保護者には介入できない取り組みだからです。

いじめの報道が起きるたびに学校サイドの責任が往々にして注目されるのは皆さんご存じのとおりです。

そして学校や教育委員会の不備や不正が明るみになり、世論が一斉に学校や行政という組織を非難する。そしてそれらの組織は対策となる仕組みを作り上げるが一定の歳月が流れることでやがては形骸化してしまう。これがいままでボクが見てきた一連の流れです。

ここで分かることは「組織の仕組みが改善されてもいじめの問題は解消されない」ということです。なぜならばどれだけ組織内でいじめの早期発見や情報共有がシステム化されてもそのシステムを回すためには人間の手が介入されるからです。

いじめの情報共有は大まかではありますが以下のような流れで伝達されます。

  • 情報提供者(被害者やその保護者、またはクラスメイト)から教員に情報が届く
  • 教員から教頭、または校長に情報が上がる
  • 校長から教育委員会に情報が上がる
  • 教育委員会と該当学校で対策を協議する

上記のようにいじめの情報はすべて人の手を通して伝達されます。いじめが発生した瞬間に機械がすべての情報を共有してくれるものではありません。

その為、教員なり校長が「いじめ」を「悪ふざけ」と判断をすれば、それがいじめであっても情報は途中で止まってしまいますが、これは性質上防ぐことのできない事実です。

そして厄介なことにそのようなことが起きても、それが悪意のないケースもあるため、仕組みによる改善にはどうしても限界が生まれてしまいます。

だからこそいじめを解決するためには組織の仕組み改善に過度な期待は危険であると言わざるを得ません。

必要なことは、組織に過度な期待をせず、児童生徒その保護者が勇気ある撤退を選択肢に入れることです。

コミュニティは必ずしも改善されるとは限らない

学校というひとつのコミュニティ内で生じるいじめはコミュニティが改善されなくては無くなりません。

仮に学校側がいじめを早期発見したとしても、いじめの加害者が繰り返しいじめを行うことだって十分に考えられます。繰り返して行われるいじめはより狡猾に、大人の目に触れない方法へと形を変えるでしょう。

そのようにいじめがエスカレートする前に、いじめを受けている児童生徒は学校というコミュニティから抜け出す努力も必要です。そしてそれには保護者の方の素早い判断が必要です。

ボクは学校へは可能な限り行くべきだと考えます。雨が降ったからとか、宿題をしていないからという理由で学校に行かないことは自制心や協調性の欠如に繋がることからも努力をしてでも学校に行くべきですが、いじめのような自身の手を離れてコミュニティに依存する出来事であれば「学校に行かない」という勇気ある撤退を選択すべきです。

命より価値があるものかを考える

保護者としてみれば学校に行って友達を作ってもらいたい、勉強をして教養を深めてもらいたいという気持ちがあるのは当然です。しかし、それらに命と引き換えにするほどの価値は無いはずです。

いじめは無くなりません。そして学校にできることはせいぜいいじめの早期発見までです。そして早期発見できたとしてもいじめがより悪質なものとなり再び被害者に襲い掛かってくる危険性だってあります。

確実にいじめを無くすことができるのは、いじめが起きているコミュニティからの撤退です。

いじめの相談を受けるたび、いじめの報道を目にするたびに思うこと。それは多くの人がいじめの解消を学校に期待しすぎている空気感への違和感です。

いじめというコミュニティ内で起きる問題を人の手で解消とするには限界があります。

学校に過度な期待をせず、保護者の方には勇気ある撤退という選択肢を常に持ち続けていただき、お子さんを学校に送り出していただきたいと切に願います。

いじめが無くなることはありません。しかし、周りを見回せばいじめのない環境も存在します。コミュニティを移す、その小さな勇気を持つことがいじめからお子さんを守る唯一の方法ではないでしょうか。


明ヶ戸亮太(あけど亮太):経営者×市議会議員
現在40歳:川越市議会議員(現在三期目)・広告会社代表取締役・ICTコンサルタント・FPのマルチタスク / JAPAN MENSA会員
マルチタスク・ラボ
Twitterアカウント

いじめは無くならないが、いじめの無い環境は存在する。” に対して1件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です